開会

(総合司会:松沢 斉)
みなさん、こんにちは。

実は、会場の照明が故障してしまいまして、しばらくこの明るさで進めて行こうと思います。…というのは冗談でして(笑)、この灯りの意味するところ、実は今からちょうど100年前、1916年(大正5年)、今の白馬村役場の隣に木流川という川がありまして、その川の力を利用して、白馬で初めて電灯が燈りました。信じられないかもしれませんが、それが今からちょうど100年前のことです。そして、それから3年後、白馬村一円に電灯が普及しました。

さて、本日は「白馬村の百年後を考えるシンポジウム」ということで、日曜日の午後という非常にお忙しい中、こんなにたくさんの皆様にお集まりいただきまして、ありがとうございます。それから、遠くからお越しいただきましたパネリストの皆様にも、心から感謝申し上げます。申し遅れましたが、本日総合司会を務めさせていただきます、百馬力事務局の松沢斉と申します。 本日は皆様が充実した時間を過ごせるよう進行してまいりたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

今日は「白馬村の百年後を考える」ということですけれども、逆に、白馬村の100年前は一体どんなだったんだろう、ということをちょっとお話したいと思います。
先ほど「電灯が燈ったのがちょうど100年前」とお話しましたが、現在の白馬駅、当時「信濃四ッ谷駅」と言いましたが、その地域にある商店の帳簿が見つかりまして、100年前のリンゴの値段が書いてありました。100年前、リンゴは一体いくらだったと思いますか?…実は、リンゴ1個で2銭でした。キャラメル1箱が10銭。100銭で1円ですので、100年で物価が約1,000倍になったということになります。このペースですと100年後にはリンゴが1個2万円、キャラメルは10万円ということになるんですが…、まぁそういうふうには行かないと思いますが、そのくらい昔の話だということです。

そして、ここに100年前の神城小学校、今の白馬南小学校の感想文があります。ちょっと読んでみます。

私が小学校5年生の時、初めて1泊旅行で松本に行くことになった。その前に、先生から明科まで11里を歩いてから(11里ですから約44kmを歩いてから)、汽車に乗るのだと説明があった。前の晩は、準備やら何やらで嬉しくて眠れなかった。いよいよ早朝に出発、歩一歩とと歩くたびにズボンの下の白い膝がパッパッと出るのが嬉しくてたまらなかった。だんだんみんな、はしゃぎながら歩いて、青木湖・中綱湖・木崎湖を右に見ながら、大町、池田あたりまでは良かったが、それを過ぎる頃になると足が痛くなってきた。(当たり前ですよね…。すごいですよね、昔の人は本当に…)先生に「もう少し、頑張れ」と励まされて、明科に着いたのが午後3時頃だった。やがて長野の方からポッポッと黒煙を吐きながら巨大な汽車が入ってきた。初めて見る汽車に歓声を上げて乗った。ポーッとなる汽笛と共に、カタコトカタコトと走る汽車に驚異の目を見張ったものだった。そして、松本に着いた頃、人力車が走っているのが珍しかった。と書いてあります。

ちなみにちょうど100年前、1916年に信濃大町駅が開業したそうです。さらに翌年、6年生の時は「長野へ旅行に行った」と書いてありますが、もちろん長野に行く汽車はありませんので、長野まで歩いて行ったんだろうということが想像できます。考えられないんですが、今のトレイルランニングよりハードだなと感じました。そして先程の物価が1,000倍になったというお話でしたけれども、距離的な感覚は一体どれくらい変わったことになるのかな、と思いました。みなさん想像してみてください。

さて、100年前の白馬村のお話はこれくらいにしまして、今日は景観・自然保護、教育、観光の3つのテーマで各方面のスペシャリストをお招きしました。そして、白馬の100年後を皆さんと一緒に考えたいと思います。会場にはマイクを持ったスタッフが常時2名スタンバイしております。会場全体が一体となれるように皆さんにマイクを向けるかもしれませんので、ぜひ全てのテーマで他人事ではなく自分事で参加していただければ幸いです。

それでは始めに、本日のシンポジウムの後援をいただいております白馬村から下川村長が駆けつけてくれました。どうぞ、下川村長ご登壇ください。

(白馬村長:下川 正剛 氏)
みなさん、こんにちは。本日は「白馬村の百年後を考えるシンポジウム」が、このように大勢の皆様にご参加をいただき、盛大に開催できますことに、先ずもって御礼を申し上げたいと思います。
そして、このシンポジウムを主催いただきました百馬力の皆様方、それぞれの仕事がある中で、この素晴らしいシンポジウムを開催いただきまして、本当にありがとうございます。百馬力は、若い皆さんが「白馬を何とかしたい、元気にしたい」、そんな想いで日々活動いただいているところであります。白馬村といたしましても、改めて感謝を申し上げます。
また、公私ともにお忙しい中、素晴らしいパネリストがこの後ご登壇されるわけでございますが、遠方よりこの白馬にお出でいただきまして、本当にありがとうございます。私も皆様方のお話を大変楽しみにしているところでございます。
さて、白馬村は村政施行60周年を迎えました。当時、神城村も北城村も寒村でありましたが、先人の皆様方のおかげで、こうして世界にも誇れる素晴らしい山岳観光地として躍進してまいりました。白馬村では、この地域で生まれた人、そして外国人も含めて移住された方々、さらにはここにも大勢いらっしゃると思いますが「白馬が大好きだ」という方々など、多様な人々と協力し合いながら、この素晴らしい白馬の山岳景観・環境、そういった財産はしっかりと守って、そして世界に通じる山岳観光地として磨いていきたいと思っております。今日のこの素晴らしいシンポジウムをきっかけに100年後に向けて皆さんと一緒になって白馬村を創っていくことが大切ですので、皆様にもご協力をお願い申し上げます。そしてこのシンポジウムが、明日からの白馬にとって本当に有意義なものとなることをご期待申し上げ、甚だ簡単ではございますが、挨拶に代えさせていただきます。ありがとうございます。